今回のレースで、私の体に生じたのは、各距離毎に以下の様です。

本を見て、ランニングに関係しそうな筋肉をピックアップすると、どうもこの表の筋肉が関係しそう。

この表で、『−』は何も生じなかった筋肉。やはり相変わらず、腸腰筋という筋肉は疲れもしないし、活用出来ていない様子。『痙』は、痙攣、つった筋肉。『(痙)』は、力を入れて地面を蹴ってはしると容易に攣ってしまうから、攣らない範囲で走った箇所。『(痛)』は痛みが生じない範囲で歩いた箇所。

要するに、赤とピンクの箇所を、意識的には使わずに全身したつもりなので、もしかするとそれ以外の筋肉を使って移動していたのか、そうでなく攣らない範囲で弱い力で移動していたのかどうか、自分自身でも分からない。

今回のレースでは、スタート直後に心拍計付き腕時計を使うのを止めてしまったので、移動に関する資料が残っていない。ただし、からだカルテの歩数計を携帯していたので、当日の歩数グラフ、カロリー他は以下の様に得られている。



この日レースの歩数合計は約66000歩、消費カロリーは2600kcal(ただし、歩数計なので、ウォーキングの消費カロリー換算。)


 *   *   *


帰りは、どれぐらいの時間でゴール出来るか、大会後に自分の体がどうなっているか、全く想像出来なかったので、帰りの駅までのバスは予約していなかった。仕方なしに、路線バスに乗って、最寄の駅に向かうことに。

路線バスに乗ると、もう一人ハイカーの年配の女性が乗っていて、運転手の人と山のことを色々話していた。その女性は、朝から上り始め、大会のコースに含まれる山を二つ縦走して戻ってきたようだ。雰囲気的には70歳代後半に見えるが相当健脚のご様子。どうも、大会のトップに近い人が走り去るのを見かけたようで、同行されていた男性が自分もやってみようかなどと話ていたという。

そうそう、今回の大会も、自分も結構年配の部類だろうと思っていたが、65歳ぐらいの人も結構参加されていて、そういう方は若い時からマラソンをされるなどしているためか、コンスタントに颯爽と走っておられた。

バスの中で、登山をされている女性と色々話していると、ご自身は槍ヶ岳に登ったり、富士山に登ったり、ツアーでヒマラヤへも行ったという、相当な山好きの方だった。

今回の大会以外にも、富士登山競争や、来週には奥多摩の山々を走る大会、御嶽山を走る大会、キナバル山の登山競争、モンブランを一回りする大会、さらに富山〜静岡を北アルプス中央アルプス南アルプスを越えて約425kmを走り抜けるアドベンチャーレースがある事が有ること等、世の中には超人的な体力を要する大会が多々有るも色々話した。

自分は、もともと健康回復のために歩き、健康維持のために山を走ろうとしている段階で、一つ目の峰を登って下りたところで、足が全部攣ってしまった話をすると、その登山好きの女性の経験では、足が攣ったら、自然塩を10円玉くらいを水と一緒に飲むと直るのだという。ヒマラヤに行った時には、荷物担ぎのシェルパの人がたまたま足が攣って、攣った箇所に自然塩を擦りつけてなおしてまた重い荷物を担いで歩みを進め始めるのを見たという。そういえば、トレイルランニングトップランナーの方が、何かの記事で、自分は自然塩を水に溶かして飲んでいるというコメントを読んでいて、試そうかとも思っていたが今回は自然塩を買いそこねて試さなかったのだった。

足が攣ってから、攣った箇所に塩を擦り込むかどうかは分からないが、スポーツドリンク、ジェル系の補給食だけでは、私には、塩分、ミネラル全般が足りなかったのだと思う。今度山に行く時には、今回程度の負荷となる様に若干ピッチを早めにして、塩分を溶かし込んで水分を補給しつつ、足が攣ってしまうかどうか試してみようと思う。

登山の常識では、山へ行く前の日の食事は塩分を若干多めにし、やはりどうも肉が良いらしい。女性の場合トイレが大変なので、朝水を多く飲むとトイレに行きたくなるから、前夜に多めに水分を採るとトイレに行かなくて済むのだという。

なんとまぁ、色々な知恵が有るものだととっても関心しきり。それも、初めてのトレイルランニングのレースに参加し、両足の太腿と脹脛とすねが攣った帰りに、たまたまバスに偶然乗り合わせて言葉を交わしただけなのに、レースでの失敗の対策、答えが得られ、とてもラッキーだった。


そして、地元に帰って、お世話になっているシューフィッターさんのところへ伺うと、走っている途中、母子球他、足の指の付根が痛くなるのは、足が靴の中で前に突っ込んで、足のアーチが無くなって衝撃がその部分に加わったために生じているものなので、足の踵を後ろに合わせて、靴紐を締めなおすべしと伺った。よく考えると、これは2〜3回同じ事を教わった気がする。大切な事忘れて、実践出来ないぐらい山に行って自分なりに走ったり、レースに出たりすると、靴紐を締めなおすという行為自体出来なくなっていたのだ。